久保塾の紹介

指導理念

「人を育てる」この言葉ほど尊いものはない、と私は思います。小中学生の子供たちは無限の可能性を秘めています。将来はこの社会を背負って立つ子供たちばかりです。その彼らを彼らが願う道へ導いてやるのが私たち久保塾の責務であると思います。

昨年三年前の卒業生が進路の報告に来てくれました。当時成績が良かったので進学校を勧めましたが、経済的理由で大学への進学を断念し、農高の土木科へ進みました。入学してから卒業までの三年間成績は学年で3番から下がったことがなく、部活は弓道部に所属し二度県体で優勝。全国大会へも出場したとのこと。その文武両道の実力をもって福岡市役所に内定。また、4月からは自分の給料で福岡大学の夜学で学ぶとのこと。福岡市役所では得意の英語を生かした部署で働きたい、と話してくれました。

この生徒は中1の途中から入塾してくれました。英語が学校の授業についていけないくらい苦手でしたが、コツコツ努力し、2ヶ月ほどで一斉授業についていけるようになりました。中1の冬期閉講テストでは49だった偏差値が中3の7月の高校入試判定模試では60に上昇しました。特に英語はいつも80点以上を取り続けました。「自分の道は自分で切り拓く」。この言葉を実践した彼はこれからも、「努力すれば必ず報われる」を胸に人生を歩き続けてくれると確信しています。

生徒たちの中には人生の目標を持ちながらも、くじけそうになったり、あきらめかけたりする生徒がいます。その主な要因が努力不足ですが、本人の怠けではなく、交友関係や家庭内でのトラブルで頑張れない生徒もいます。そのようなときには、補習を行ったり、生徒トークスで励ましたりしています。この久保塾で学んだ生徒全員が、自分が掲げた人生目標に向かって邁進できるよう最大限の支援を続けていきます。

塾長 久保元治

塾長の思い

第1回 開塾の頃

開塾して41年がたちました。今でも、当時のことははっきりと覚えています。当時勤めていた諫早駅前の塾が長崎に移ることを告げられたのは、確か41年前の1月でした。翌2月には、その塾が閉められることになり、行き場を失う子が数人いました。私も職を失うことになり、生活のために、次の職を探さないといけませんでした。

そんな時、知り合いの方から、所有しているマンションを使わないか、という話があり、「塾を経営する」ことに不安はありましたが、そこをお借りして開塾することを決心しました。6畳二間、4畳半一間の3Kでした。「どうにか生活できれば」といった軽い気持ちでした。まだ26歳独身で、実家の父母と同居していたこともあり、生活費もあまりかからず、呑気なものでした。

しかし看板を揚げ、畳の上に買ってきたカーペットを切って貼ったり、色々準備をしていくうちに自分の城を持つことの責任と誇りの感情が芽生えて来て、「絶対成功させるぞ」という強い気持ちに変わっていきました。

まだ、パソコンも普及していない時代で、案内書は間接の知り合いの方に、和文タイプで打っていただきました。病弱な方で、お家を訪ねると、家に「忌中」の張り紙があり、その方がお亡くなりになったことをお聞きしました。もう葬式も終わっていた時間でしたが、居ても立ってもいられず、火葬場に駆けつけました。すると、煙突から煙が出ていて、呆然と立ちつくしていたことを覚えています。

さて、いよいよ授業開始です。前勤めていた塾の生徒が何人か来てくれることになりました。次は先生です。家業が呉服屋で同級生のM君が仕事が終わってから手伝ってくれることになりました。また、前の塾でアルバイトをしていた長大生のT先生、Y先生、大学の先輩のK先生が手伝ってくれました。開塾して半年ぐらい経って生徒も増えてきたので、教員採用試験をめざしていたA先生に職員として来てもらいました。たくさんの方に助けてもらって今の久保塾があります。

開塾してからは無我夢中で働きました。初年度は月曜日から土曜日までは平常授業を行い、日曜日は日曜教室を開きました。当時小学生は青雲中学、長大附属中学の希望者が多く、ほとんどの生徒が日曜教室にも来てくれました。初年度の実績はラ・サール中1名、青雲中5名、長大附属中3名でした。ラ・サール中と青雲中のW合格を果たしたT君はどんな問題も解ける生徒で、いつもテストは100点でした。あまりにも成績が良いので、ラ・サール中の受験を勧め、受験にも引率しました。たった二人で鹿児島まで電車に乗り、公共の宿に泊まりました。そのとき社会の試験で「九州で一番高い山はどこですか」という問題がでました。答えは「屋久島の宮之浦岳」で、こんな難問(奇問かも)が小学生向けのテストに出るとは、驚きでした。とにかく超難関のラ・サール中の入試にT君は合格し、その後東大に進学。いまは大手企業で研究者として勤務しているそうです。初年度でいきなりラ・サール中に合格者を出したので、評判になり生徒が倍増しました。

高校入試でも好成績で、初年度で諫高にも10名合格しました。その合格者の一人であるK君は愛野からバスで1年間白岩町の久保塾に通ってくれました。一度は私立高校に進学したが、諫高への憧れは断ちがたく、「どうしてももう一度諫高に挑戦したい」というその生徒の志に惚れ、1年間指導させてもらいました。合格発表の日、目に涙をいっぱい溜め、喜びに浸っている姿をまだ覚えています。

従兄が通っているから、という理由でK君が中2の秋ごろ入塾してくれました。見たところどこにでもいるような普通の生徒でしたが、授業中の集中力はすごく、にらみつけるように黒板を凝視していたのをおぼえています。テストはいつも満点で、青雲高校に合格。1番で卒業し、東大に進学したのち自治省(今の総務省)に入庁後、全国の自治体に出向。最後は長崎市の副市長を退職して参院選で当選。現在、参議員を務めています。

まだまだ、開塾のころの思いは尽きませんが、今日のところはこのくらいで。

私は忘れない

私は忘れない。君たちの努力を。君たちが歩いてきたこの道のりを。模擬試験がふるわず、不安になって来る日も来る日も努力を続けたことを。正月も受験のことが気になって勉強し続けたことを。私は忘れない。面接の受け答えが弱々しく、「もっと大きな声で。はっきり。」と言われ、涙顔になった君のことを。私は忘れない。合宿の友達を作るゲームの時の楽しそうにしていた君の笑顔を。

私は忘れない。近所の子が遊んでいる時に朝から夕方までひたすら適性を解き、作文を綴った土曜講座。途中できつくて、弱音を吐きそうになったけど、気を取り直して机に向かった日々。

おめでとう。心の底から祝福させていただきます。「努力は裏切らない」。まさにその通りだと思います。

ところで、今回残念ながら合格できなかった皆さんへ。そろそろ悔し涙はかわきましたか。人生はやり直しがききます。合格するチャンスは3年後にもう一度やってきます。去年も中学入試の悔しさをバネに雪辱を果たした先輩もたくさんいます。自分を信じ続けた者こそが勝利者になれるのです。さあ、立ち上がってください。人生はこれからなのですから。

塾長 久保元治

使命感

関わり合って ふれ合って ぬくもり合って 共に成長する 久保塾

行動の原点・5つの誓い

一.ビジョン
私達は、日々自己研鑽に励み、己の存在価値を生徒に与えることに喜びを感じ、社会貢献していくことを誓います。

二.教育
私達は、授業に誇りを持ち、常に生徒・保護者とのあたたかいコミュニケーションを通して、満足のいく教育を実践することを誓います。

三.顧客
私達は、生徒一人一人を大切にして、すべての生徒が楽しく学び目標を達成することをモットーに信頼を得る本気の教育を実践することを誓います。

四.管理
私達は、生徒の置かれた環境を正しく認識することによって、明確な役割分担の下、適正な対応と業務の効率化を推進することを誓います。

五.チームワーク
私達は、礼節を重んじ、お互いの立場を理解して、常に強調し、向上していくことを誓います。

諫早本校
〒854-0062
長崎県諫早市小船越町798-5
電話番号:0957-26-8086